「新しい耳」シェーンベルク・シリーズ①

シェーンベルクとの出会いキラキラ感     

 

私(廻)がシェーンベルクの音楽と出会ったのは、桐朋の音楽科高校に通っていた時でした。まだ高校1年か2年だったと思います。

音楽理論の先生がシェーンベルクが好きで、授業で「浄夜」(弦楽6重奏)を聴かせてくれたのです(もちろんLPレコード)。

「浄夜」は、高校生だった私には、本当に「濃い」音楽で、心震えるようなドラマティックな体験でした。次々と襲ってくる波に呑みこまれそうになりながら聴いていたのを思い出します。

聴かせてくれた先生は、その当時、ご自身がドラマティック恋愛人生の真っ最中でしたので、授業で「浄夜」について説明しながらも、終始恍惚としていました。

そして、「本当の愛とは何か、が、この音楽で表現されているのです」とか「男性の大きな愛が彼女を包むのです」など、高校生である私たちに、いつもと違う深い声で語り、その間中「浄夜」が大音響で鳴り響いている、という異常な状況だったのです。

まさに、「浄夜体験」の洗礼を高校生の時に受けた、と言うわけです。

その先生は「月に憑かれたピエロ」も聴かせてくれました。これにはビビビッ!と私の中に電流が走りました!

喋ってるのか歌ってるのか、歌い手はフザケてるのか真剣なのか、演奏が上手いのか下手なのか、何もかも全然わからないのですが、「これ、すごく好き!いつかやりたい!」と強く思いました。

その思いが叶って演奏することとなり、今では「月に憑かれたピエロ」のピアノ・リダクション版は、私の大事なレパートリーとなっています。

さて、高校生の私が、なぜそんなに「月に憑かれたピエロ」を好きになったか、というと、とにかく音がキラキラしているのです。

光の色は、青、漆黒、真っ赤、緑、金、白銀、クリスタル、など様々なのですが、教室中にそんな不思議なお星様が舞っているようでした。今でもその、煌めき、は覚えていて、思い出すだけで目の前に、その時の光の色、が見えるくらいです。

その光は、モーアルトの「魔笛」にもどこか通じるものでした。

 

シェーンベルクとキラキラ感は、なかなか結び付かないかもしれません。

 

なにしろ彼は、現代音楽の父であり、12音技法の創始者であり、凄まじいエネルギーで音楽を前進させた偉大な作曲家です。見た目も少し恐そうです。

でも、同時に、ウィーン、という地が育んだ音楽家でもあります。

数々の偉大な音楽家たちを生んだウィーン。その息吹が伝わってくるのはもちろんのこと、ストリートの手回しオルガンやミュージック・ボックス、チンチラ鳴るベル、公園の楽隊や、曲芸師たちの音、カフェから流れてくる音楽、グラスやコーヒーカップの触れ合う音までも聴こえてくるようです。

まるで、ウィーンの街角のカフェで、シェーンベルクがシューベルトやモーツアルトなどの大作曲家たちや、オペレッタや芝居やカフェやキャバレーの音楽家たちと、時空を超えて活発に音楽談義をしている場に居合わせているような、そんな気分になることもあります。

シェーンベルクの、特に1920年くらいまでの音楽には、この「ストリートの音」を感じます。

「新しい耳」@B-tech Japanの2024年シリーズでは、シェーンベルク生誕150年を記念して、シェーンベルク特別企画を開催します。シェーンベルクの作品については、第1次世界大戦前までの作品を集めました。というか、気がついたらそうなっていたのです。

その後、ドイツの敗戦、ナチスの台頭、亡命、という運命が彼を待ち受けているのですが、それをまだ知らないシェーンベルクの才能は、音楽に向かって異常なほど開いていきます。

第1次世界大戦前夜、変わりゆくヨーロッパで生まれたシェーンベルクの作品を中心に、最強最高な演奏家たちがそれぞれの個性あふれるプログラミングで腕をふるいます。

どうぞお楽しみに!詳しくは「新しい耳」のHPをご覧ください。