ミヨーとメシアン

2024年3月20日に、相模湖交流センター ラックスマン・ホールでのコンサートについて、前回のブログではトーマス・アデスの「テンペスト」より「コート・スタディ」のことをお話ししました。(前回はこちら

 

今回はダリウス・ミヨーの「組曲〜ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための」と、オリヴィエ・メシアン

「時の終わりのための四重奏曲」についてお話ししましょう

 

ミヨーの「組曲」は、ジャン・アヌイという人の劇「荷物を持たない旅行者」という作品のために書かれています。第1次世界大戦が終わったフランスを舞台に、身分証明書も記憶も無くした1人の老兵士をめぐる物語で、1936年に作曲されました。

 

ミヨーの音楽は、彼が1917年〜18年までブラジルへ行っていたこともあり、明るく楽しく、ブラジルのテイストが漂います。

 

ブラジル経験もあるでしょうが、ミヨーが過ごした大戦間のパリも関係あるのではないでしょうか。好景気に湧き、芸術が花ひらいたパリ。また、その時代は芸術が大変に新しく、若々しかったのです。

 

大戦前の文化を引きずる長老巨匠たちは、台頭する若者文化に押されてしまい、存在感がありません。

 

女性のスカートも髪の毛も短くなり、ココ・シャネルは事業を拡大し、ピカソ、ダリ、ヘミングウェイ、などがパリの通りを闊歩していた時代。アメリカからジャズもやってきます。

 

ミヨーも、プーランクやオーリックら、若い作曲家たちとツルみ、それをジャン・コクトーが「6人組」と言って世に広める、など、それはそれはイキイキとした人生を送っていたことと思われます。

 

車椅子を使うことも多かったミヨーですが、その底抜けの明るさには、彼の性格もあるでしょうが、この時代のパリの空気を吸ったことも大きいのではないでしょうか。

 

この「組曲」は、時折、兵隊ラッパの音太鼓の音マーチ風のリズムなどが聴こえたり、寂しげな夕暮れを思わせるメロディが出てきたり、場面はさまざまに移り変わります。その様子もぜひ楽しんでいただきたいです。

 

さて、第2次世界大戦が始まり、ユダヤ人のミヨーは身ひとつで1940年アメリカ合衆国へ亡命。

 一方、メシアンは徴兵され、同じ1940年にドイツ軍の捕虜になってしまいます。

 

その捕虜収容所で作曲され、初演されたのが、今回演奏する「時の終わりのための四重奏曲」です。

 

捕虜収容所の中がどんなものかは分かりませんが、寒さ、飢え、疲れ、絶望、などに覆われているに違いありません。

でもメシアンは、その中でこの世紀の傑作を創作し、やはり捕虜になっていた音楽家仲間と初演するのです。

 

収容所で、メシアンはビッグな作曲家だ、ということで特別扱いだったようです。五線紙やペンが豊富にないと、そもそもあんな長い曲を作曲することはできません。それらは支給された、ということですね。

 

そういった「特別扱い」については、今はいろいろな本で書かれているのでここでは触れませんが、音楽の内容は驚愕するほど、美しさ、興奮、静けさ、深い歌、光に向かうものすごいエネルギーに満ち溢れています。

 

この強い光を浴びていると、芸術は、創作は、人間最後の砦だ、と思わずにはいられません。

 

コンサート詳細は↓

https://sagamiko-kouryu.jp/event/1199/

 

 廻 由美子/ 2024年3月12日・記