寺嶋陸也「林光を語る」文字起こし

「新しい耳」@ B-tech Japan vol.3

 

寺島陸也ピアノ・ソロ

 

林光を弾く・語る

 

2022年12月11日(日) 

  

 トーク文字起こし!

2022年12月11日に東京虎ノ門にあるB-tech Japan 東京スタジオで行われた「寺嶋陸也ピアノ・ソロ」

 

林光と共に数々の公演に携わった寺嶋陸也ならではの貴重なトーク!

寺嶋陸也さんと林光さんの出会いについて

 

廻 由美子(以下、廻):まずは林光さんと寺嶋さんはとても近い関係にあると思うのですが、おふたりの「出会い」からお聞かせくださいますか?

 

寺嶋陸也(以下、寺嶋):初めて直接お会いしたのは中学3年くらいの時です。

小さい頃に作曲やピアノを教わっていた安達元彦先生に「林光さんを紹介しましょう」って言ってくださって。

 

:ほお〜。

 

寺嶋:ちょうど「こんにゃく座」(オペラシアターこんにゃく座)が、もうすぐ10周年で、もう40何年前ですね、その時の公演の楽屋に連れて行ってくださり、というのが直接お会いした最初ですね。

林さんレッスンとかそういうことはもうなさらないので、「まあ、時々遊びにいらっしゃい」と言って下さって、そこからですね。

 

:そうなんですね。でもやはりなんというか「師匠」というか、そういう関係になったのは?

 

寺嶋:そうですね、高校生の時代を通じて、僕が何か少し作曲したら持っていって、ということをやっていたんですが、大学(東京藝術大学)に入ったら、もうだんだんお仕事の手伝いをさせていただくようになって。

 

:それは素晴らしいですね!

 

寺嶋:例えば「こんにゃく座」で使う曲の編曲をするとか、林光さんの曲をピアニストとしてあちこちの劇団とか、そういうところで弾かせてもらったりとか、そういうことをしてました。

 

:なるほど。林光さんは寺嶋さんの藝大時代の先生というわけではないんですよね。でもいちばん近しい関係というか、本当に現場、というか。

 

寺嶋:僕の大学の指導教官は間宮芳生先生で、間宮先生と林光さんはとても仲が良かったので、そういうのはどんどんやりなさい、って言って下さってたし。

 

 

「劇場」を教えてくれた林光さん

 

:以前、寺嶋さんが「林先生から、『劇場』とは何か、をすごく学んだ」とおっしゃってましたが、それをもっと噛み砕いて言うと、どういうことでしょうか。

 

寺嶋:林さんは、演奏会用の曲をお書きになる他にも、芝居の音楽ですとか、或いはテレビドラマの音楽ですとか、映画の音楽とか、そういうのをたくさんお書きになっていました。

特に芝居は、まあ光さん自身も好きだったでしょうし、また、そこで一緒に働いてる人たち、役者とか演出家とか、そういう人たちと共同作業で一つの出し物を作り上げていくのだ、というのがあって、これはオペラなんかに関してもそうなんですね。

 

まあ、特にオペラなんかですとなんとなく作曲家が自分が一番偉いような気になって、自分の思い通りに行かないと、なんというか、、

 

:怒る。

 

寺嶋:そう、怒ったりとかね、そんなような人もいるんですけども、林さんは、そういう風なものではない、という考えで、そういうところをすごく教わったというか、まあ林光さんの仕事を見ていると、そういうことがわかる、という感じでしたね。

 

 

ブレヒトの影響

 

:なんか私のイメージですと、(林光さんの活動は)例えば1920年代のヴァイマール共和国時代の、たとえばブレヒト(ベルトルト)とか、ヴァイル(クルト)とか、そんな活動と重なるというか。

 

寺嶋:ああ、そうですね。ブレヒトという人からは、林光さんはものすごく大きな影響を受けていて、まあ、あらゆる面にそれは感じますね。ブレヒトの思想ももちろんそうですし、仕事の進め方みたいなことなんかも含めて。

 

:どちらかというとヴァイルよりもブレヒトの影響の方が大きい感じがします。

 

寺嶋:ええ、ヴァイルからの影響というのはそんなに特になくて。

 

:そうですよね。

 

寺嶋:それよりもブレヒト、あとはブレヒトと共同作業をずっとやっていたアイスラー(ハンス)という作曲家、シェーンベルクの弟子なんですけど、そのアイスラーにも林光さんはとても共感していて。

 

あるときに林さんが「自分が一番影響を受けた人」の名前を挙げるときに、ブレヒト、アイスラー、そして宮沢賢治を挙げていました。

 

:ああ、わかるわかる!そうですね。だからやはり「民衆の方を向いた音楽の活動」というものをものすごく心がけるというか、もうそういう「体質」というか。

 

寺嶋:体質!(笑)

 

:エラ〜イことをやるというより、まあもちろん偉いんですけど、それよりも・・・

 

寺嶋:そうですね、なんというか1人で書斎に閉じこもって作品を書くってタイプでは全然なかったと思いますし。

 

:それがすごく作品にも表われてますよね。

さて、ではここからはマイクを渡して、曲の説明なども、お願いします。 

林光:第2ピアノソナタ《木々について》(1891)の解説

 

寺嶋:最初にお聴き頂きます曲は「第2ピアノソナタ《木々について》」という曲です。

 

林光さんは3つのピアノソナタを作曲していますけれども、この2番目のソナタには《木々について》というタイトルがついていて、それを林光さんご自身ではこのように説明しています。

 

「《木々について》は、ベルトルト・ブレヒトの第2次大戦中の詩、『あとから生まれる人びとへ』からの引用。

 今という時代に、自然(たとえば木々)について会話することは、他のことから、例えば無数の非行(もちろんファシズムによる)について「会話しない」こと、沈黙することであり、犯罪でさえある、と詩人は書いた。詩人に共感しつつも、なお木々について(ついても)語りたい、というのが作曲者の弁。」

 

というふうに説明しています。

 

まあこう説明されると、これは木々について、自然について、美しく語っている曲なのかなあ、というふうに、これを読むとそう思えるのですけど、実際にこの曲の中身を調べると、全くそれとは正反対な曲で。

 

全部で3つの楽章から出来ているんですけれども、第1楽章では林光さんが作曲した「新しい歌」というソングから取られた節の変奏が、中心のモチーフになっています。この「新しい歌」というのはスペインの内戦の時に1936年に暗殺された詩人、ガルシア・ロルカの詩による歌でした。

 

第2楽章は沖縄のわらべうたの「がらさ」という、これはカラスのことなんですけど、そのカラスの歌の変奏曲になっています。

 

この沖縄のわらべうたというのは、これはおそらく、私の想像では、明治時代、というか日本がまだ明治になる前ですね、薩摩藩が沖縄に侵攻して行って、それでまあ琉球王国というものが無くなって、最終的には日本に併合される、ということになるわけですけれども、その時代に多分できた歌なんじゃないかと想像されるのですが。

 

この歌はわらべうたなんですけれども、カラスに向かって「カラスよカラス、オマエの背中のほうからヤマトンチュウが銃を向けて狙っているから気をつけろ」という、そういう歌なんですね。ヤマトンチュウというのは沖縄の人が日本人のことを呼ぶ時の呼び方です。

 

それから第3楽章は、これは雰囲気としては葬送行進曲のような音楽なんですが、ここでもやっぱり歌が引用されています。その引用されている歌というのは、光州・・・光州事件というのが1980年にあったんですけど、韓国で、韓国の光州で、民主化を求める人たちのデモに軍隊や警察とかが介入して弾圧して、大勢の人々が、まあ、何人が犠牲になったかがまだわからないと言われていますけれど、大勢の人が殺された、それもまあ、かなりの虐殺をされた、という事件があった。そのことについて歌った「別れ」という歌が引用されているんですね。

 

楽譜の解説にはそんなことは全然書いてなくて、多分わざと書いてないんですけれども、その第3楽章の中心のテーマのところの歌詞、というのが「忘れるな」。何を忘れるな、かというと、どんなに酷い目にあって、自分達の家族、きょうだいが殺されたか、ということを忘れるな、っていう。そしてその「忘れるな」という歌詞に当てられた(ドーレミドー)こういう音型でどんどんクライマックスをつくっていくという、そういう曲になっています。だからまあ、その曲の内容を見ると、木々について語っていると言いながら、全然そうではない曲だということがわかります。

 

この時代の、これは1981年、その光州事件の翌年の曲ですけれども、ちょうどこの頃、林光さんはピアノ曲をたくさんつくって、その一部は前回テッセラ(「新しい耳・第30回テッセラ音楽祭」でも弾きましたけれども、まあその政治的なこと、だから音楽そのものというよりも、その音楽をつくっていく原動力として、林光さんがこの頃は社会の動きとか、政治的なこととか、そういうことにすごく深く関わっていた。それがその曲をつくる原動力になっていたんだなあ、ということを感じます。

 

では、第2ピアノソナタ《木々について》を演奏します。

林光:「戻ってきた日付」(1980)の解説

 

寺嶋:次にお聴き頂きます曲は「戻ってきた日付」という曲集です。

 

この曲集は1980年に全音楽譜出版社の「ハミング」という季刊誌があったんですね。なんというかなあ、B5くらいの大きさの小冊子で。100円、いや50円くらいで値段がついてて、ヤマハとかではタダでくれたんですけれども。ま、それの付録として1年間、1月から12月まで連載されたピアノ曲です。

 

これはちょうどチャイコフスキーの「四季」という曲集がありますけれども、それもやはり同じなんですね。連載。

 

で、「戻ってきた日付」では1月から12月まで、すべての曲が「ソング」の編曲です。

 

「ソング」というのは、ま、これはちょっと特別な意味のある言葉なんですけど、劇の中でうたわれる歌とか、或いは集会でうたう歌とか、そういう、それもまあ、ブレヒトが言い出したことだと思うんですけれども、ま、そういう単に「歌」というよりは、役割のある歌、というんですかね、そういうのを「ソング」と呼んでいた。林光さんも「ソング」という言い方を非常に好んでいらっしゃいました。

 

12曲あるうち、5曲は佐藤信さんの詩による「ソング」で、そのうちの3つは劇の中の歌です。「動物園(1月)」と「舟歌(2月)」と「魚のいない水族館(8月)」、この3つは佐藤信さんの劇の中の、それぞれ別々の芝居ですけれども、その中の歌。

 

それから6月の「ものがたり」と10月の「花の歌」は、ちょっとこの中ではやや特殊な歌で、6月の「ものがたり」というのは、これが6月にあるというのは非常に意味のあることなんですが、6月15日に、1960年の6月15日に、安保闘争のなかで亡くなった樺美智子さんを悼んでつくった「ものがたり」という歌があって、それが元になっています。

 

10月の「花の歌」というのは、ゲバラ(チェ)のことをうたった歌で、この人はキューバ革命を成功させた後、ボリビアに行って、そこで捕まって処刑されたのですけれども、ちょうどゲバラが殺されたのが10月で、そのゲバラのことを歌っていて、元々は20番くらいまである長―い歌だったらしいんですけれども、後で3番くらいまでの歌になりました。この「花の歌」というのは非常によく、今でも「ソング」として歌われる曲ですけれども、そのゲバラを追悼する歌がここではピアノ曲になっています。

 

3月の「飛行士」と4月の「暗い晩」と、それから9月の「八匹めの象の歌」というこの3曲は、ブレヒトの「セチュアンの善人」というお芝居のなかで歌われる歌が元になっています。

で、その他の数曲はそれぞれがまた別々のお芝居のなかで歌われる歌です。

 

7月の「四人の将軍」という曲が唯一オペラの中の歌が元になっています。これはブレヒト原作の「白墨の輪」というオペラの中で歌われる歌ですね。

 

まあ、どの歌も元々は何かの芝居の中だったりするんですけどども、そのお芝居そのものとは殆ど関係のないことが多いんですね。

これはやはりブレヒトもそうでしたし、ブレヒトから影響を受けた佐藤信さんのつくり方もそうでしたけれども、まあずっと劇があって、劇の流れの中でなんかこう登場人物が気持ちを歌う、とかそういうふうなつくりとはちょっと違って、毎回劇の流れをストップさせて、そこで一般的な心境を歌ったりとか、またはそれに注釈を加えるような歌だったり、そういうようなものが多いので、芝居はもう上演されなくなっちゃっても歌だけ残って歌われている、というふうになったりしています。

 

で、どうもいちばん最初の連載の時には「子供のための前奏曲集」なんて書いたりしてたんですけど、多分つくっているうちに「子供のため」というのはヤメておこう、というふうになったみたいで、というのは表紙を見ていいただくとわかるのですがこういう可愛らしい(人形などのイラストの描かれた表紙)、可愛らしいけれどもよく見ると毒々しかったりもするんですけど、子供のためのピアノ曲集というものがものすごくたくさん巷にはあるんですね。日本人の作曲家の。まあ、そういうのと一緒にされるのが嫌だ、と思ったのかな(笑)、というふうにも想像できるし、まあ、子供が弾くにはちょっと難しい、手が大きくないと弾けないとか、そういうところもすごくたくさんあったりするし。でもまあ、やや達者にピアノが弾ける人ならプロ・アマを問わず弾いて楽しめる、というそのくらいの感じの(難易度の)曲集になっています。では12曲、続けて弾きたいと思います。

 

・・・・演奏・・・

林光:花の図鑑・前奏曲集ピアノ(左手)のために(2005)

の解説

 

寺嶋:最後にお聴きいただきますのは「花の図鑑・前奏曲集」という8曲からなる曲集です。「ピアノ(左手)のために」となっておりますが、館野泉(1936〜)さんという、今もお元気でご活躍のピアニストがいらっしゃいますが、ご病気で右手が自由に使えなくなってしまったのですが、それでも演奏活動は断念せずに左手のための曲をどんどん弾いて、それで素晴らしいことにいろんな作曲家に作品を委嘱して、多分もう100曲くらいあるのではないかと思うのですが、たくさんの、左手で弾くための曲のレパートリーというものができました。

 

今もまだ、今年もまた新作が出来て、若い作曲家が作ったりしてますけれども、その館野泉さんのために林光さんが2005年だったかな、に作曲した曲集です。

 

で、この曲集は「花の図鑑」となってますけれども、まあ、「木々について」で言っていた「木々について語りたい」と言っていたことが、わりとここでは、そのようなものになっているように見えます。

 

全部の曲に花の名前がついていて、名前聞いただけではどんな花かもよくわからない花も混じっていますけれど、この1曲1曲には、実は林光さんが曲の、楽譜の冒頭に何行かの文章を引用しているんですね。その文章というのはみんな古今の、古今東西というか、まあ西洋の詩は一つだけなんですけど、いろんな人の詩などからとっています。この解説、短い解説ですが、ちょっと読みます。

 

「『花の図鑑・前奏曲集』は、古今の詩人たちに歌われることによって独特の光を浴びた花々をめぐる小さなエッセイ集。その光から出発し、けれども花々の描写ではなく、5本の指の運動から自然に生まれる音の変化を追うことを心がけた。2005年の6月から8月にかけて作曲。」とあります。

まあ1曲1曲の花というか、そこに引用された文章についての解説もあるんですけれども、今日は演奏の前に、書かれてる何行かの詩を読んでから演奏したいと思います。

 

ま、1980年代の「戻ってきた日付」はソングの編曲ですし、先ほどのピアノソナタも大々的にいろんな歌が引用されて、それが曲のメッセージそのものにもなっていたわけですけれども、もっとこの曲集(花の図鑑)では、まあ、お聴きいただくとすぐわかりますれども、晩年の林光さんの音の使い方の特徴というものがすごく良く表れていて、それは80年代の曲に比べるとかなり難解な感じと言いますか、かなり晦渋な感じになっていると感じます。

 

で、その引用された文章と曲との関係というのも、よくわからないものが多い。けれどもそれはもっと作曲家の内面の深いところで恐らく結びついていることなのだろう、という風に想像します。

では演奏に移りたいと思います。

 

・・・演奏・・・

アンコール 林光:夕暮れ

 

寺嶋:では、林光さんが武満徹さんのお嬢さんが小さい時に教えていたことがあって、その時に教材というか、教えるための曲をずっと自分で作曲していたものが1冊の本になっているのですが、その中にある「夕暮れ」という曲を弾きます。

 

・・・演奏・・・

 

コンサートの最後に

 

:ありがとうございました!最後にちょこっと。前回の「新しい耳」第30回テッセラ音楽祭で演奏された寺嶋さんのCD-Rがあります。林光さんの「島こども歌2」とか、さっきお話にもあった光州事件のことをかいた曲とか。

 

寺嶋:はい、高橋悠治さんの。

 

:そう、高橋悠治さんの「光州」とか、それとかヤナーチェクとか、そしてショパンもこの方面から見ると全然違う風に見える、という。いや、すごいです。

 

林光さんってニコニコしたイメージがあったんですけど、すごい筋金入りですね。

 

寺嶋:そうですね〜。非常にニコニコして人懐っこい感じの方でしたけれども。

 

:はあ。

 

寺嶋:でもなかなかの筋金入りで。

 

:筋金入りですよね!本当に、心から反戦とか、そういうのを、でも声高に言うのではなく。

 

寺嶋:そうですね、だからどういう風にそれを表現していくか、ということはいつも考えていらっしゃったと思いますね。

 

:もっとどんどん受け継がれて弾かれていくべき曲だと思いました。

 

寺嶋:はい、ほんとうに。

 

:今日は本当にありがとうございました。  

 

 

(2022年12月11日B-tech Japan 東京スタジオにて)